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Monday, October 07, 2013

踏切で人を救った後逃げ遅れて死亡した女性の国を挙げての英雄化はおかしい

自分のツイッター@PeacePhilosophyより転載します。

踏切の死亡事故に責任を取るのは鉄道会社である。踏切で危ない状況にあった人を救って死んだ人に対し謝罪、補償をすべきも鉄道会社。遺族は鉄道会社を相手取って訴訟を起こすべきである。身代わりになって電車にひかれた人の死を美化したり国が顕彰したりする靖国的騒ぎには深刻な警鐘を鳴らしたい。

この事故のことはニュースでもトップ扱いでこれでもかこれでもかと取り上げられそのたび手を合わせる人、勇気をたたえる人、「自分にはできない」と称賛する人のコメントなどが繰り返し流された。それに加え国からの顕彰である。マスコミや国による取扱いの過剰さをおかしいと思う人は少なくないはず。

しかし異論を差し挟む余地のない、倫理的演出がされているから声を上げにくいのである。だから私は敢えて声を上げたい。おかしいものをおかしいと言えない雰囲気を作り支えることで市民は戦争に加担させられたのだ。絶対にそのような加担をする人間にはならないとの決意で敢えておかしいといいたい。

自分の命を守ろうとするのも、困っている人を助けるのも人間に備わっている自然の性質だ。どちらがより正しいとかではない。今回の被害者は助けたいという自然な思いに従い、逃げ遅れて電車にひかれてしまったのである。自らの命を犠牲にして人を救ったというように演出されたとしたら間違いである。

ニュースで聞いたご両親の言葉は、娘は帰ってこないがたくさんの人の支援に「幸せ」に思う、娘を「見習って」生きていきたいといったような内容だった。私は正直言って恐ろしくなった。若い我が子の突然の死についての声明で「幸せ」とか「見習って」とかいわざるを得ない雰囲気を作ったのは誰なのか。

安倍首相らは戦争賛美神社に行けない代償行為であるかのごとくに伊勢神宮に集団参拝した。戦時の自殺攻撃部隊という国策の被害者を扱う博物館のある知覧には「愛する人のために」といったスローガンが流れ、直後に自衛官募集広告が出る。私は今回の出来事をそういった世相の文脈のなかで見ている。

@PeacePhilosophy より。

2 comments:

  1. あしざわのりこ6:09 pm

    私も、この女性の一連の国を挙げての英雄化に、違和感を覚えていました。

    このもやもやした気持ちが、こういうことだったんだと気がつかされたのが、精神科医
    香山リカ氏の、インタビュー記事を見たときでした。

    この英雄化に対する違和感を口に出すと、なんともいえない”不謹慎”な気持ちになるのは、
    人として当然の感情だと思います。

    それを、政府がうまく利用していることがとても許せない気持ちになります。

    口には出せないけど、ほんとは言いたい。
    ”人助けもいいけど、自分が死んだらいかんやろ!”

    戦争の時と同じです。

    英雄化された報道を見て、子供たちは、”正しい(!)”英雄像を刷り込まれていくかと思うと、悲しくなります。

    ここに貼り付け、ます。リンク元はこちらです。

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131005-00000018-kana-l14

    あしざわのりこ


     ■批判封じる 空気怖い、精神科医・香山さん
     事故の犠牲になった村田さんをたたえる安倍晋三首相の書状をどう見るのか。精神科医の香山リカさん(53)に聞いた。

     非常に違和感を覚えている。長嶋茂雄さんと松井秀喜さんの国民栄誉賞をはじめ、安倍首相はことさら光の当たる場面に登場しようとする。その延長で、今回はヒューマニズムの感動に自分の姿を刻もうとしている。

     パフォーマンスだとの批判も想定しているだろうが、その声を上げると「長嶋さんを認めないのか」「村田さんの死を非難するのか」という議論のすり替えで、逆に攻撃に遭う。微妙に、絶妙に批判しづらい対象を選んでいる。本来は短絡的な賛成反対では語れないことのはずなのに。

     深読みかもしれないが、自己犠牲を推奨し、誰かのために命を省みないことを全面肯定しているかのようだ。両親からすれば「生きてほしかった」と思っているだろうし、救助自体にも多様な意見があってしかるべきなのに、そういった議論を封じ込めてしまう。

     政府は本来、事故防止など現実的な方向を示すべきなのに、精神論に入っていこうとする。「こうあるべきだ」という規範を押し付けようとする空気が怖い。

     ご両親にしたって、悲しくてやりきれないだろうに、英雄視されることで、きちんと悲しめなくなるのではないか。それは戦争でわが子を失った親と同じ。死んでほしくなかったと言えない苦しみを与えてしまう。

     いまの社会は、いつ自分が少数派になるか分からないという不安感がある。そこに陥るとはい上がれないという恐怖から、多数派を見つけて、そこに属することで安心しようとする。そういう意味では「今はこれが正しい」というトレンドをつくり出すゲームの中で、社会を覆う不安感が政権運営に利用されてしまっているのかもしれない。

    ********************

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  2. 落合栄一郎7:29 pm

    聡子さんの危惧を共有します。この場合は,犠牲を強いられて犠牲になったわけではなく,善意の結果,不幸にも犠牲になってしまったというわけで、戦争での兵士の死とはいささか違うが、こうした行為を美化することの裏側には、何か(国体)の為に犠牲をしいて、それを美化することで、その意図を誤摩化すという、為政者がやってきたことを、国民が受け入れるようにする雰囲気作りです。
     私は、昔から、戦争で亡くなった兵士の葬儀を国をあげて大々的に行うのは、(日本に限らず,どの国でも)為政者が、自分達が企む戦争への参加者(兵士)が、命の犠牲までの覚悟を自らに課する、と同時に、家族や関係者が、その犠牲を、国がほめ讃えてくれているという安心感を与えるためだと思っています。こうした雰囲気作りが、政府を上げて始まっているわけですが、この異常さに、あまり気がつかないようです。聡子さんの警告は真っ当です。

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