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Monday, February 28, 2011

White Rock Meeting, January 2011 on Okinawa ホワイトロック 2011年1月の会報告 沖縄を知る

This is a report by Hara Kyoko, a member of White Rock group, a peace group based in White Rock, BC, a beautiful coastal city near the US border, of our January 22 meeting on the current situation in Okinawa. Right is a photo, in which we are wearing a yellow strap that says "No Base Okinawa," donated by Ken Nakamura-Huber living in Okinawa.
ホワイトロックの会 1月の会の報告

原京子

沖縄の現状を知っていますか?

1月22日(土)、山本真理子さん宅で行なわれたホワイトロックの会は、参加者10名(女性6名・男性4名)の中身の濃い集いとなりました。今回は、ピース・フィロソフィー・センターの乗松聡子さんと、沖縄の基地問題について学びました。

沖縄の歴史と現状

「沖縄」といえば、青い空・美しい海というリゾートのイメージを第一に思い浮かべる方が多いと思のではないでしょうか。でも、沖縄はどんな歴史をたどってきた県か、考えたことがありますか?琉球王国として独自の文化を発展させてきた沖縄は、第2次世界大戦時には、日本の一部として「最大規模の陸戦」と呼ばれる「沖縄戦」の舞台となってしまいました。沖縄戦では、全戦没者は20~24万人とされており、日本側の死者・行方不明者は18万8136人で、沖縄県出身者が12万2228人、そのうち9万4000人が民間人ということです。(沖縄県生活福祉部援護課による発表。もっと多いという報告もあるようです。)当時の住民の3~4人のうちにひとりの割合で亡くなった方がいたと言われるくらいに、その闘いの傷あとは大きなものでした。現在も、沖縄戦の痛みを心に残して暮らしている方々がおられます。

戦後、アメリカの領土となった沖縄は、1972年に返還され日本に復帰しましたが、現在に至るまで在日米軍基地を抱えたままの状態です。沖縄の面積は日本の国土の0.6%なのに、在日米軍基地の75%が沖縄県のあるそうです。この数字を見ただけでも、いかに沖縄に負担がかかっているかがわかります。”沖縄県は基地で潤っている”などというイメージもありますが、基地で働いているのは県民の1%以下、建設工事などもほとんど本土の業者が受注してしまうのが現状です。沖縄の一人当たりの県民所得は全国で最低、基地では潤わないという事実があります。また、ひどい騒音、アメリカ兵の起こす事件(暴行、交通事故など)は日米地位協定により日本の法律で裁くことができずにうやむやになってしまう、など、現在も多くの問題が残されたままになっています。2009年に普天間基地の県外移設というスローガンをかかげて当選した鳩山政権は、公約を破る形で辞任しています。

住民の反対を無視して、豊かな自然を破壊してまで、基地を広げていくことは本当に必要なのでしょうか?アメリカ自身も「沖縄にはこだわらない」と言っているのに、なぜかそのことは日本国内ではほとんど報道されていません。県民全体が反対しているのに、なぜか日本政府は基地建設をさらに進めようとしています。

「高江」ヘリパッド建設問題

高江は、那覇から車で3時間、人口160人ほどの小さな集落です。自然に恵まれ、ヤンバルクイナ・ノクチゲラなどの稀少な動物の生息地、また豊かな水源地としても知られています。

この世界自然遺産の候補地にもなっているやんばる(沖縄島北部)の森に、米軍ヘリパッドが新設されようとしています。これまでも、高江の住民は米軍の「ジャングル訓練センター」と隣り合わせて暮らしてきましたが、さらにこの集落を囲むように、ヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)を6つ作る工事が始まっています。住民の反対にもかかわらず、工事を強行しようとする沖縄防衛局に対し、「自分の家で普通に暮らすために」と、2007年から150人の高江区住民を中心に全県・全国からの支援者がゲートでの座り込みをはじめ、また全国に支援が広がっています。ホワイトロックの会で、高江の現状のドキュメンタリー映像を見せてもらいました。素晴らしい自然の中、普通に暮らしていた人々がその当たり前の暮らしを守るために、どれだけの犠牲と苦痛と努力を強いられているのか、考えさせられます。

これら住民の非暴力の抵抗に対し、沖縄防衛局は「道路通行妨害」として裁判所に訴えるという措置をとりました。訴えられた住民の中には8歳の子供も含まれていたというのですから、ひどい話です。このような訴訟は、SLAPP訴訟(Strategic Lawsuit Against Public Participation:公に意見を表明したり、請願・陳情や提訴を起こしたり、政府・自治体の対応を求めて動いたりした人々を黙らせ、威圧し、 苦痛を与えることを目的として起こされる 報復的な民事訴訟のこと)と呼ばれているそうです。今回の高江のケースも、市民側のリゾース(人員、やる気、体力など)を削ぐために行われたSLAPP訴訟であると言われています。(SLAPP訴訟に関して、詳しくはこちらをご参照ください。http://slapp.jp/

高江の人々の闘いは、現在も続いています。どうぞこちらをご覧ください!!
http://takae.ti-da.net/index_1.html

これまで私たちの持っていた「沖縄」のイメージと、現実の「沖縄」とはずいぶん違います。沖縄の外側にいる私たちも、もっと沖縄の人たちの抱えている苦労や闘いを理解しなければならないのではないでしょうか。今の日本が「平和」だとするのなら、その「平和」の影では沖縄のような犠牲が強いられていることをもっと考えなければならないと思います。

現在も、北朝鮮・中国の脅威を理由に、基地建設は進められようとしています。「憲法九条を考える時、過去の戦争の過ちを繰り返してはいけないと思っていました。”過去の戦争”と思っていましたが、沖縄の人たちの話を聞いて、戦争は今も続いていることを知りました。本土の人たちが、その事実を知らなければならないと思います。1972年に沖縄の人たちが日本へ返還されることを強く望んだのは、憲法九条があったから。基地がなくなるだろうと期待して日本への復帰を望んだのに、基地は現在も存続しています。」と、聡子さん。

沖縄が抱える痛み、もっと考えなければなりません。

何ができるかわからないけれど、まず現実を知ることが第一歩なのではないでしょうか。

また、参加者の中からもいろいろな意見・情報などが活発に交換され、盛りだくさんな内容の「1月の会」でした。

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