To view articles in English only, click HERE. 日本語投稿のみを表示するにはここをクリック。点击此处观看中文稿件한국어 투고 Follow Twitter ツイッターは@PeacePhilosophy and Facebook ★投稿内に断り書きがない限り、当サイトの記事の転載は許可が必要です。peacephilosophycentre@gmail.com にメールをください。Re-posting from this blog requires permission unless otherwise specified. Please email peacephilosophycentre@gmail.com to contact us.

Sunday, December 20, 2009

A Year-End Message from Yuki Tanaka (Japanese Version)

Here is a year-end message from Yuki Tanaka, Professor of Hiroshima Peace Institute. An English version is here. 広島市立大平和研究所の田中利幸さんの「年末メッセージ」です。

世界には、ルールに従わず、市民を抑圧する悪質な国やテログループがある。正義と平和を追求する米国は、戦争は極力避けたいのだが、こうした無分別で暴力的な敵とどうしても闘わなければならない場合がある。相変わらず修辞的な表現をふんだんに使ったオバマ大統領の、ノーベル平和賞受賞演説の骨子はこの一言に要約できると思います。つまり、市民を抑圧するのは他国やテロであり、アメリカは常に正義と平和のために苦悩・奮闘している国という、典型的な独善観に立つ考えです。

「米国は60年以上に及んで自国民の流した血と軍事力によって、世界の安全保障を保証する助けになってきた」とオバマは述べましたが、そのアメリカがベトナム戦争やアフガン、イラク戦争で流した大量の「市民の血」について彼はどう考えているのでしょうか。「ルールを破る政権は責任をとらなければならない」と彼は他国を批判し、「米国は戦争遂行上の(規範を守る)旗手であり続けなければならない。それが我々と戦う相手との違いだ」と誇ります。では、無差別爆撃というルール(ジュネーブ条約)違反を世界の様々な場所で犯し、今もアフガニスタンやパキスタンで犯し続けている自分の政権の「責任」はどうとると言うのでしょうか。

「すべての個人の持つ尊厳と生来の権利に基づく公正な平和だけが、本当に持続することができるのだ」とオバマは述べ、「子どもたちがまっとうな教育や、家族を養える仕事を望めないところにも安全は存在しない。希望の欠如は、社会を内側から腐らせうる」と主張します。まさに彼の主張する通りだと私も思います。

しかし、そのような理念を掲げたオバマ政権が、アフガニスタンではブッシュ前政権の政策をそのまま継承し、無人飛行機も活用した空爆を引き続き行っており、その結果、アフガニスタンのみならずパキスタン北西部で多くの市民に死傷者を出しています。「テロ打破」の目的と称して行われているこのような無差別爆撃のために、テロを壊滅させるどころか、この地域でますます反米勢力を拡大させ、ひいてはテロによる無差別攻撃の可能性を高めているのが実情です。最近、アメリカ政府は、パキスタンの核兵器がタリバンの手に渡る危険性がなきにしもあらずという憂慮を表していますが、そのような状況を作り出している大きな要因の一つが、まさに、この地域で自分たちが展開している軍事行動そのものであることを認識すべきです。

今年5月初め、アフガニスタンのファラア県にある一村落が米軍による空爆を受けました。空爆の理由は、「タリバン兵士が村に入り込んでいた」というものでした。アフガニスタン政府の公式発表によれば死者147人、負傷者25人、破壊された家屋12軒。アフガン人権モニターというNGOの調査によると、死者は少なくとも117人、そのうち26人が婦人、61人が子供。爆撃の威力が凄まじく、死者の身体がバラバラになって吹き飛ばされたため、誰の身体か確認ができないひどい状態との報告でした。これは多くの「誤爆」の一例に過ぎません。かくして、「子どもたちがまっとうな教育や、家族を養える仕事を望めないところにも安全は存在しない。希望の欠如は、社会を内側から腐らせうる」とオバマが述べた、まさにそのような状況がアメリカの軍事行動によって作り出されているのが現状です。

ノーベル賞選考委員会は、オバマへのノーベル平和賞授与の理由として、彼がアメリカを単独行動主義から国連中心の多国間外交の舞台に引き戻し、「よりよい未来に向けて人々に希望を与えた」ことを挙げています。アフガニスタンの首都カブール郊外にある国内避難民キャンプには、現在1万人近い人たちが苦しい生活を余儀なくされており、その中には、米軍の空爆で親族を失った人たちが多く含まれています。この人たちにとって「よりよい未来に向けての希望」などはありません。

昨年の今頃から始まり、年を越して長く続いたイスラエルのガザ攻撃で、多くのパレスチナ人が殺傷されました。今年10月には国連でこのガザ攻撃が戦争犯罪であるという決議が行われましたが(この決議は、同時に、ハマスの武装勢力のロケット攻撃の戦争犯罪性も指摘しました)、米国はイスラエルを支持してこの決議に反対し、恥ずべきことには、日本政府は棄権しました。

「一人殺せば悪党で、百万人殺せば英雄。数が殺人を神聖化する」という言葉は、チャーリー・チャップリンが、1947年の自作自演映画『殺人狂時代』で演じる連続殺人犯ヴェルドゥに吐かせる有名な台詞です。ブッシュからオバマに政権が変わり、核廃絶へのかけ声だけは高まっているものの、アメリカは、チャップリンがこの映画で痛烈に批判した国家暴力を、アフガニスタンやパキスタンで展開し続けています。ノーベル平
和賞の授与は、結局は、オバマのこの国家暴力の正当化につながるものです。したがって、私は秋葉市長が推進している「オバマジョリティ運動」に、正直なところ、不快感を憶えます。

年末に当たり、もう少し心地よいメッセージを送ることができれば良いのですが、普天間基地の問題や核抑止力問題での日本政府の対応など、情けない現状を考えると、相変わらず憤慨せずにはおられません。

やはり、地道に反核平和運動を草の根のレベルで続けていくより他に、真の意味での「チェンジ」を社会にもたらす方法はないと信じます。

皆様にとって、穏やかで希望の見えるような年末年始となりますことを祈りつつ、

YouTube のクリスマス曲を送ります。

No comments:

Post a Comment